これはブログではない

生物学(主に理論生物学)の論文を書くために読みます

生物学史から見た死 

小川 眞里子(1993, 生命倫理)[生物学史から見た死 The Idea of Death in the History of Biology]

 

理由

「生物学最大の問題のひとつは、なぜ死ぬのかだろう」という話をしたので

 

概要

なぜ生物が死ぬのか、という問題には2つの側面がある。一つは老化と死の原因を問うものである。もう一つは、全ての生物が死ぬことを定められている理由である。これらの質問に対して、歴史的に生物学者がどのように答えてきたのか、がこの記事のテーマである。質問の最初の側面に関しては、自然死と突然死を区別することは有用である。古代ギリシャの時代から、自然哲学者と生物学者は自然死と老化過程の問題に主に注力してきた。彼らのほとんどは、老化過程は何かを失う過程であると考えていた。アリストテレスは、老化過程は内部熱の喪失であると考えた。フランシス・ベーコンは、老化過程は修復力の消退であると考えた。2つ目の点に関しては、オーガスト・ヴァイスマンが書いたエッセイが、死の哲学的意味についてとても重要な調査を書いた。彼の研究は初めて、死を進化の観点から考え、以前の著しくマイナスな死観と反対に、死の進化的にプラスな利点の進化圧という考えを示した。彼は、増殖の点において単細胞と多細胞の間に大きな違いがある。単細胞生物は、潜在的には不死であり安定である。一方で、進化の間に多細胞生物は有性生殖過程を獲得した結果、動的多様性が生まれた。死は二次的に獲得された適応として説明される。死は、外力のストレスの損傷障害に対する特権として、種の利点となる進化的戦略としてみなされる

 

雑記

医者というのは覚えるべきことが多くてたいへんだなぁ(他人事)